大阪市内で生まれて、19年間暮らしていた
自分は、大阪市内で生まれました。そして、19年間を大阪市内で過ごしました。人が多く、店が多く、電車も多く、情報も多い。どこへ行っても、何かしらのお店があり、何かしらの広告があり、何かしらの案内が目に入る。都会は、たしかに便利です。
欲しいものがあれば、すぐに買える。食べたいものがあれば、すぐに見つかる。暇をつぶそうと思えば、いくらでも選択肢がある。でも、便利だからといって、必ずしも自分にとって心地いい場所とは限りません。
たまに大阪市内に行くと、情報量の多さに疲れる
今でも、用事があって大阪市内に出かけることがあります。少し時間が空いたとき、街中を歩き回ることもあります。でも、まず人が多い。歩いているだけで、人の流れに気を使います。
そして、目に入る情報量がとにかく多いです。いろんな店がある。いろんな商品が並んでいる。いろんな看板がある。いろんな広告がある。いろんな音が聞こえる。便利なはずなのに、気づけば少し疲れています。
自分はそこまで物欲がある方ではありません。だから、たくさんの商品が並んでいても、「欲しい」と思うものがあまりない。いろんな店があっても、特に入りたい店がない。そうなると不思議なもので、大阪市内にいるのに、自分には「なにもない」と感じることがあります。
水間門前町で暮らして、約1年2カ月
水間門前町で生活を始めて、約1年2カ月が経ちました。最初は知らない土地でした。大阪市内とは違い、夜は静かです。人通りも多くありません。大きな商業施設があるわけでもありません。
でも、ここで暮らす中で、少しずつ見えるものが増えてきました。朝の空気。水間寺へ向かう道。鳥の声。山の緑。季節ごとに変わる光。川沿いの静けさ。民家の並び。昔から続いてきた町の気配。
特別なものではないかもしれません。でも、自分にとっては、ただ歩いているだけでも楽しい場所です。
“なにもない”と言われる場所を歩くのが楽しい
たまに時間を確保して、泉州地区にあるお寺や神社を巡ることがあります。御朱印をいただきながら、知らない道を歩く。貝塚周辺を数時間歩き回ることもあります。
そこには、高いビルがあるわけではありません。高級ブランドのお店が並んでいるわけでもありません。オシャレな雑貨がたくさん並んでいるわけでもありません。でも、民家があります。緑があります。鳥が鳴いています。空が広く見えます。
ただ、その場所にいること。ただ、歩くこと。ただ、空気を感じること。そういう楽しさがあります。それは、何かを買う楽しさでも、何かを消費する楽しさでもありません。
“なにもない”のではなく、見ようとしていないだけかもしれない
「なにもない」という言葉は、とても便利です。でも、少し乱暴な言葉でもあると思います。なにもない場所なんて、本当はほとんどありません。そこには、人が暮らしています。家があります。道があります。木があります。鳥がいます。昔から続いているお寺や神社があります。
ただ、それが「買い物をする場所」「遊ぶために用意された場所」「わかりやすく観光する場所」ではないだけかもしれません。都会には、楽しみ方が最初から用意されています。一方で、水間門前町や貝塚のような場所では、楽しみ方を自分で見つける必要があります。
歩いてみる。立ち止まってみる。音を聞いてみる。空を見てみる。昔の建物を見てみる。そうすると、「なにもない」と思っていた場所に、少しずつ見えるものが増えていきます。
自分には、都会より “なにもない” と言われる場所の方が楽しい
自分は、大阪市内の都会よりも、「なにもない」と言われる田舎の方が断然楽しいです。静かさがあります。緑があります。空の広さがあります。歩いていて、ふと深呼吸したくなる瞬間があります。
買いたいものがなくても、楽しめる。お店に入らなくても、満たされる。誰かに用意された楽しみではなく、自分の感覚で見つける楽しみがある。それは、自分にとって大きな魅力です。
水間門前町で暮らしていて、「なにもない」と感じることはあまりありません。むしろ、余白があると感じます。余白があるから、空が広く見える。余白があるから、音が聞こえる。余白があるから、自分の気持ちにも少し気づける。
水間門前町には、派手さよりも余白がある
水間門前町は、派手な観光地ではありません。大きなテーマパークがあるわけでもありません。一日中遊べる大型施設があるわけでもありません。でも、ここには余白があります。
水間寺へお参りする時間。門前町をゆっくり歩く時間。川沿いの道を歩く時間。少し立ち止まって空を見る時間。そういう時間があります。
現代の生活では、この「余白」が意外と少なくなっています。スマホを開けば、情報が流れてくる。街を歩けば、広告が目に入る。何かを買うこと。何かを見ること。何かを選ぶこと。いつも何かに追われているような感覚があります。だからこそ、何も急かされない場所には価値があると思います。
水間門前町を楽しむなら、目的を詰め込みすぎなくていい
水間門前町に来るなら、予定を詰め込みすぎなくてもいいと思います。水間寺にお参りする。少し歩く。空を見る。カフェに寄る。川沿いを歩く。気が向いたら人力車に乗る。それくらいで十分です。
「何か特別なことをしないといけない」と思わなくてもいい。ただ、いつもより少しゆっくり歩くだけで、普段とは違う時間になります。観光地のように、次から次へと名所を巡る場所ではないかもしれません。でも、日常から少し離れて、自分のペースを取り戻すにはちょうどいい場所です。
人力車も、“なにもない”を味わうための時間
人力車 誠屋の人力車も、有名な名所を次々に巡るためだけのものではありません。水間門前町の空気を、少し違う目線で感じてもらうための時間です。
歩いていると見過ごす景色も、人力車に乗ると少し違って見えます。道のゆるやかさ。町の静けさ。水間寺へ向かう空気。風の感じ方。ゆっくり流れる時間。派手なアトラクションではありません。でも、「何もない」と言われる場所にある豊かさを、少し感じてもらえる体験だと思っています。
水間門前町を歩いてみて、もう少しこの町を味わってみたいと思ったら、人力車に乗ってみるのもおすすめです。
まとめ|“なにもない”場所に、ちゃんとあるもの
貝塚は、「なにもない」と言われることがあります。水間門前町も、派手な場所ではありません。でも、自分はここで暮らして、「なにもない」と感じたことがあまりありません。
静かさがあります。緑があります。空の広さがあります。鳥の声があります。民家があり、お寺があり、神社があり、昔から続いてきた時間があります。そして、ただ歩いているだけで楽しいと思える瞬間があります。
もしかすると、「なにもない」という言葉は、その場所に何もないという意味ではなく、自分がまだ見つけられていないということなのかもしれません。貝塚市・水間門前町には、派手なものは少ないかもしれません。でも、静かに歩いてみると、ちゃんとあるものがあります。それを見つける時間も、小さな旅の楽しみだと思います。
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Makotoya
水間門前町の余白と時間を、体験として味わってみませんか
誠屋では、水間門前町の空気をゆっくり味わう人力車体験を行っています。名所を急ぐのではなく、歩くより少し違う目線でこの町の時間を感じてみてください。